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東京家庭裁判所 昭和41年(家)6163号 審判 1967年7月13日

申立人 川上和代(仮名)

主文

記載錯誤につき、

本籍、茨城県東茨城郡茨城町大字○○一七番地筆頭者川上孝助の戸籍中、

五女和代の身分事項欄に「昭和二二年五月七日中華民国四川省[牛建]為県五○○○街二〇号張林吉と婚姻届出右婚姻証明書提出昭和三九年一月三一日同国駐在特命全権大使受附同年二月一三日送付除籍」とある記載を消除して、同人の戸籍を回復する

旨の戸籍訂正を許可する。

理由

一、申立人は主文と同旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、

1  申立人は、日本人である父亡川上孝助(昭和二四年五月五日死亡)と母亡川上トヨ(昭和二四年九月五日死亡)間の五女として昭和四年三月二八日満洲奉天江島町○○番地において出生した者であるが、昭和二一年七月頃から中国瀋陽市(元奉天市)内において、当時中国国民政府軍の軍人であつた張林吉と同棲し、昭和二二年五月七日瀋陽市役所から身分証明書(在留資格証明書に代るべきもの)の交付をえて同市に居住中、昭和二三年頃中共軍が同市に侵入してきたので、右張林吉とともに同市から脱出し、昭和二四年五月頃台湾へ渡航した。

2  台湾へ渡航後、申立人は張林吉とともに台湾省桃園県中[土歴]鎮興南里興南巷○○号に居住し、張林吉は中国国民政府軍に復帰し、申立人は桃園県庁に勤務したのであるが、申立人は右張林吉との婚姻生活に不調を来たしたこともあつて、昭和三六年頃から故国日本に帰国したくなり、桃園県庁戸籍課に日本への帰国手続について相談したところ、右張林吉との婚姻届出を了し、この婚姻届出に基づいて除籍された日本の戸籍謄本を本籍地から取り寄せ、この戸籍謄本に基づき、中国政府内政部に対し、中国国籍の取得申請をなし、正式に中国国籍を取得したうえ、右張林吉と離婚して、はじめて帰国が認められる旨の指示があつた。

3  そこで、申立人は、右指示に従い、張林吉との婚姻届出を了し、台湾省政府に対し張林吉との婚姻証明書の交付申請をなし、その交付を受け、これに基づき、張林吉との婚姻届を昭和三九年一月二八日在中華民国日本国大使館に提出し、同月三一日これが特命全権大使によつて受理され、外務省を経由して同年二月一三日本籍地の茨城県東茨城郡茨城町長に送付されたため、申立人は中国国籍法第二条第一号および日本国旧国籍法第一八条の規定により日本国籍を喪失したものとして肩書の従前の戸籍から除籍されるに至つた。

4  ところが、申立人が中華民国政府内政部に対し中国国籍の取得申請をしたところ、同内政部は、申立人と前記張林吉とが婚姻した当時においては、張林吉は中国軍人であり、中国の軍籍にある者は軍人婚姻法令に基づき、中国国籍をもたない者を配偶者とすることが禁ぜられていたので、申立人と張林吉との婚姻は無効であり、したがつて、申立人は中国国籍を取得することはできないとして、申立人の国籍取得申請を却下された。

5  そこで申立人はやむなく、昭和三九年一〇月二〇日張林吉との離婚届を提出しこれが受理され、昭和四〇年一月二七日付で、申立人の中国における戸籍は消除されたので、桃園県警察局に対し、国籍日本として外僑登録をしたうえ、日本への帰国を申請し、これが認可され同年六月二二日日本へ帰国したのであるが、その渡航証明書には元国籍日本とあつたため、無国籍者として現住所に居住し、八王子市役所に外人登録をしているのである。

6  かような次第で、申立人は、中国人張林吉と婚姻し中国国籍を取得したことにより日本の国籍を喪失したものとして、日本の従前の戸籍から除籍されたのであるが、現実には中国において右張林吉との婚姻が軍人婚姻法令に違反するため無効であるとして、中国の国籍を取得することができず、依然として日本国籍を保有しているのであるから、結局のところ、前記戸籍の記載は錯誤によるものであるというべく、この記載を消除して申立人の戸籍を回復する旨の戸籍訂正を許可せられたく、本件申立に及んだ

というにある。

二、審案するに、本件記録添付の各戸籍謄本、婚姻届書謄本、台湾省桃園県中[土歴]鎮公所鎮長からの申立人あての書簡、台湾省桃園県長からの申立人あての書簡、申立人の東京法務局八王子支局法務事務官木村三男に対する供述調書の写し並びに申立人および参考人川上良に対する各審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  申立人は本籍茨城県東茨城郡茨城町大字○○一七番地亡川上孝助(昭和二四年五月五日死亡)とその妻亡川上トヨ(昭和二四年九月五日死亡)との間の五女として昭和四年三月二八日満洲奉天江島町一三番地において出生し、右川上孝助の戸籍に登載されていたものであるが、満洲奉天において父母兄弟姉妹とともに昭和二〇年八月終戦を迎え、終戦後も同地に滞在し、昭和二一年初め頃中国国民政府軍人として駐留していた四川省出身の張林吉と知り合い、相思相愛の仲となり、同年七月頃父母兄弟姉妹とともに日本へ帰国するため胡蘆島に集結する途中、申立人のみ錦州附近で一行と別れ再び瀋陽(元の奉天)市に戻り、その頃から右張林吉と同市内において同棲し、在留資格をえるため、昭和二二年五月七日瀋陽市役所に右張林吉との婚姻届を提出し、同市役所から「中日仮結婚証明書」の交付を受けたものの、昭和二三年頃中共軍が瀋陽市に侵入し、申立人は右張林吉とともに中共軍の捕虜となり、やがて揚子江以北出身の捕虜は出身地に帰還が認められたので、申立人は満洲出身を装い帰還が認められた右張林吉とともに一旦瀋陽市に赴き、昭和二四年五月頃同市から脱出して台湾へ渡航したこと、

2  台湾へ渡航した後、申立人は張林吉とともに、台湾省桃園県中[土歴]鎮興南里興南巷○○号に居住し、張林吉は中国国民政府軍に復帰し、申立人は中国人を装い「丁令華」という氏名で桃園県庁に勤務し、昭和二五年六月一〇日右氏名で右住所に中国人としての戸籍も編製されたのであるが、その後右張林吉との関係がとかく円満を欠くようになつたこともあつて、昭和三六年頃から故国日本に帰国したくなり、在中華民国日本国大使館に赴き、日本への帰国手続について相談したところ、同大使館の係官から、「丁令華」が日本人「川上和代」と同一人物であることを証明する資料をえて、右戸籍の氏名等を訂正し、右張林吉との婚姻届出を了し、この婚姻届に基づいて除籍された日本の戸籍謄本を日本の本籍地から取り寄せ、その戸籍謄本に基づいて中国政府内政部に対し中国国籍の取得申請をなし、正式に中国国籍を取得したうえで、はじめて帰国が認められる旨の指示があつたこと、

3  申立人は、右指示に従い、昭和三九年一月一七日付で日本の本籍地茨城県東茨城郡茨城町の町長から「丁令華」と称する者が、日本人「川上和代」と同一人物であることの証明書の交付を受け、これによつて中国における前記戸籍の申立人の氏名、父母の氏名等の訂正をえ、更に、同年一月二四日中[土歴]鎮公所に正式に張林吉と昭和二二年五月七日に婚姻した旨の婚姻届出を了し、台湾省政府から張林吉との婚姻証明書の交付を受け、これに基づき同月二八日在中華民国日本国大使館に対しても張林吉との婚姻届を提出し、同月三一日この届出が特命全権大使によつて受理され、外務省を経由して同年二月一三日日本の本籍地の茨城県東茨城郡茨城町長に送付されたため、申立人は中国人との婚姻により日本国籍を喪失したものとして、肩書の従前の戸籍から除籍されるに至つたこと、

4  次いで申立人は、右の如く除籍された戸籍謄本を添えて直ちに中華民国政府内政部に対し、中国国籍の取得申請をしたところ、同内政部は、申立人と張林吉とが婚姻した昭和二二年五月七日当時張林吉は中国軍人であり、中国の軍籍にある者は軍人婚姻法令に基づき、中国国籍をもたない者を配偶者とすることを禁ぜられているから、申立人と張林吉との婚姻は無効であり、したがつて申立人は中国国籍を取得することはできないとの見解により、申立人の国籍取得の申請を却下したこと、

5  そこで申立人はやむなく、同年一〇月二〇日中[土歴]鎮公所に張林吉との離婚届出を了し、昭和四〇年一月二七日に申立人の中国における前記戸籍は消除されたので、桃園県警察局に対し、国籍日本として外僑登録をしたうえ、日本への帰国を申請し、これが認可され、ようやく同年六月二二日日本へ帰国することができ、以来肩書住所の兄川上良方に居住しているのであるが、帰国に際し在中華民国日本大使館から交付された渡航証明書に元国籍日本とあつたため、帰国後、申立人は無国籍者と認定され、八王子市役所に外国人として登録をしていること、

三、右認定事実によると、申立人は中国人張林吉と昭和二二年五月七日婚姻したものであり、この婚姻が有効である限り、中華民国国籍法二条一号によれば、外国人女が中華民国人男と婚姻した場合、その本国法により従来の国籍を失うときに限り中華民国国籍を取得すると規定されており、当時に適用される日本の旧国籍法第一八条によれば、日本人が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本の国籍を失うと規定されておるので、申立人は、日本国籍を喪失すると同時に中国国籍を取得することができるものというべきである。

ところが、前記認定のごとく、申立人は、現実には中華民国政府内政部によつて、右婚姻は軍人婚姻法令に違反する無効なものであり、したがつて、中国国籍を取得しないとして、国籍取得の申請を却下されたのである。当裁判所の調査した限りにおいては、中華民国においては、民国四一年(昭和二七年)一月五日戡乱時期陸海空軍軍人婚姻条例が公布制定され、同条例第六条によれば、陸海空軍軍人はその婚姻の相手方が中国国籍がないときは、婚姻を禁止されることが明定されていることが判明しているのであるが、申立人と前記張林吉との婚姻した当時において、同趣旨の禁止法令を見出すことができない。したがつて、その限りにおいては、申立人と張林吉との婚姻は有効であり、申立人は中国国籍を取得していると解すべきであると思われるのであるが、当裁判所としても中国の軍人婚姻法令を網羅的に的確に調査している訳ではないので、この点について確定的な解釈を下すことはできず、既に中華民国内政部が、申立人と張林吉との婚姻は軍人婚姻法令に違反し無効であり、申立人は中国国籍を取得しないとの見解により、申立人の国籍取得申請を却下しているのであるから、これを尊重し、申立人は中国国籍を取得していないものとして取り扱わざるをえないと考える。

そうだとすれば、旧国籍法第一八条により申立人は、中華民国人張林吉の妻となり、夫の国籍を取得したときに、はじめて日本の国籍を喪失するのであるから、中華民国において、申立人が張林吉との婚姻が無効で中華民国の国籍を取得しないものとして取り扱われた以上、申立人が日本の国籍を喪失するいわれはないというべく、したがつて、申立人が張林吉との婚姻により中華民国の国籍を取得することを前提としてなされた、申立人が日本の国籍を喪失し、除籍する旨の日本の従前の戸籍における記載(もつともこの記載は、本来は、昭和二二年五月七日国籍中国張林吉と婚姻により国籍喪失、昭和三九年何月何日附許可を得て何月何日除籍とするのが適切であつたと思われ、そのように記載を訂正したうえ、更に消除すべきものであるが、いずれにしても消除されることになるので、そのまま消除することを許可する)は錯誤によるものであつて、訂正を免れないものである。

よつて主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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